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ぶどうの歴史

甲州ぶどうは、古くから上岩崎、下岩崎及び勝沼を中心に栽培され、特にその植物的性格から適地がごく一 部に限られた自然条件にあった。 たまたま本町が最適地という自然条件に恵まれ、古い伝統の中から今日の隆 盛を見るに至った。

特に甲州ぶどうが商品として取引されるようになったのは、江戸時代五街道が開け甲州街道もその中の一つ として江戸から諏訪まで39宿が決定され、勝沼宿もその中に含まれていた。

荻生徂徠は峡中紀行の中で「勝沼の宿は人家多く繁昌なるところ甲州街道で第一番地、甲州葡萄は此国の名 物なり」と記し、勝沼宿も珍果ぶどうの里として江戸へも知れ渡ったのであった。

また、芭蕉が甲斐へ入国し、勝沼宿を通った際つくったうた「勝沼や馬子もぶどうを食いながら」は当時の甲州市勝沼の情景を良くあらわしている。

こうした古い歴史をもつ甲州ぶどうについては、その起源が未だはっきりしておらず現在この地域には、甲州ぶどう発生の伝説が二つある。

雨宮勘解由伝説

文治2年(1186年)上岩崎の住人、雨宮勘解由は付近の山「城の平」で行われる石尊祭へ(毎年3月2 7日)例年のように村人と一緒に参列するため山道にかかった。ところが偶然にもその路傍に、一種のつる性 の植物を発見した。これは未だかつて見たことのない植物であり、一緒にいた村人にも相談してこれを自園に 栽培することにした。

それから5年の春夏を経て、そのつるは繁茂し、ついに建久元年( 年)の5月に初めて30余の房が結実した。勘解由は、この珍しい果実に自らが驚き、栽培の努力の賜と思いその年の秋の実りに期待したのだった。

そして8月下旬にその果実はことごとく熟し、色は朱紫のように、味はきわめて甘美であったので、勘解由はこの果実の繁殖方法を研究し、同8年ようやく13株となった。

この年、鎌倉右大将源頼朝が長野の善光寺に参詣の際、そのぶどうを三箇ご献上した。

その後、子孫の雨宮織 部正は領主武田信玄へぶどうを献上し、非常にその美味をほめられ太刀を賜わったといわれている。

大善寺説

いまから1270年前元正天皇の養老2年(718年)に僧行基が西方よりこの甲州市勝沼の地へやってきました。そして甲州市勝沼町勝沼地区と 岩崎地区の間を流れる日川に沿って柏尾に至り、たまたま川岸にそびえたつ大岩石の上に静座して祈願を続けたところ、21日目に忽然と薬師如来が霊夢となってこの岩上に現われた。

しかもこの薬師如来の御姿は金色にさん然と輝き、右手にぶどうを持ち、左手に宝印を持つという普通の薬師如来の御姿とは違ったものであった。

そこで行基は早速この霊感に従って、この地に一寺を建立することを思い立ち、付近の山に登りケヤキの大樹を切って薬師如来の御姿を刻んで安置し、奉った。

この寺が柏尾大善寺である。

そして、伝教の法典の党禅鈔第一薬師法十九薬師像の中に「呼迦陀野軌言薬師仏座宝蓮花座、其形金色為相也、左手取宝印置花膝上、右手取葡萄、葡萄諸病忽除之宝薬也」とあり大善寺の葡萄伝説は、この覚禅鈔によるともいわ れている。

ワインについて

甲州市産ワインの魅力

甲州市産のぶどうを使い生産された純粋で良質を求められた国産ワイン。

日本初のワインの製造地として、最大の醸造量を記録している勝沼町内では30社以上のワイナリーで、各々自慢のワインを醸造、出荷している。

近年、ワインの健康的な効用が注目され、定番的な人気に更に拍車がかかる。

市営ぶどうの丘で推奨ワイン180種の試飲と販売が行われている。

全国一の質と量を誇る純粋高品質のワインは絶対に欠かすことができない甲州市の名物。

ワインの歴史

国際ワインコンクールで常に好評を博す甲州市のワイン、その歴史は明治から始まる。我が国に初めてぶどう酒が輸入されたのは、安土桃山時代だといわれている。しかし実際に醸造し始めたのは、我が国でも甲州市勝沼が初めてであり、明治に入ってからといえよう。

明治10年代の県令藤村紫朗は、葡萄酒醸造場を設け白葡萄酒、ブランデー等の試験醸造を始め た。この影響を受けて、まず葡萄の生産地である甲州市勝沼の人々のあいだで、試験醸造の動きがでてきた。明治10年下岩崎に大日本葡萄酒会社が創設され、これが本県における本格的葡萄酒醸造の最初といわれている。

同社では早速、村内の土屋龍憲、高野正誠の2氏を本場フランスに派遣、ぶどう栽培と醸造技術 について学ばせたのだった。明治12年両氏の帰郷を迎えた社は直ちに醸造に着手、27キロリットルを醸造、製品の販売に努めた。その結果、輸入品より著しく安かったため大いに歓迎され、一年間で売りつくすことがで きたという。しかし当時の醸造方法や貯蔵方法に欠陥があったためか、変味酒を出してしまい、日本初の葡萄酒会社も明治19年に解散してしまった。

同社の解散と同時に、土屋氏は宮崎光太郎、土屋保幸氏らと共同で醸造を始める。しかし、経営 は困難をきわめ同23年には共同醸造を廃止してしまう。その後独立した宮崎氏は醸造用のタル、圧搾機、破砕機などの改良に努め、さらに明治26年ブランデーの製造を開始、36年にはぶどう液の製造にも進出していく。明治20年代から30年代にかけて、醸造場が出現した。しかし34年、ぶどうの価格が著しく下落して農家は恐慌にみまわれ、多くの工場は事業不振で閉鎖してしまう。やがて、第一次大戦の影響で大正から昭和にかけて好況に転じ、ぶどう栽培も増加、醸造高も増加していくのである。昭和16年太平洋戦争に突入、兵器である電波探知機のロッセルエンを採るため、酒石酸の採取 が醸造家に割り当てられたが、終戦とともに醸造高もますます増加し、業者も自ら進んで品質の向上に努めた。

現在では、30社以上もある醸造会社は、年間10000キロリットルのワインを醸造している。これは国内醸造量の約25%に当たる。ワインは酒の中でただ一つのアルカリ性100%の天然ワインで、体の調子を整え、美容と健康に欠かせないお酒で、特に肉料理にはグンと 味を引き立てるなど、世界中の人に親しまれている。